永下
ながした

山中の大型民家群

むつ市中心部から車でおよそ30分。国道338号線から枝道に入って2キロほど進んだところに、永下集落が忽然と姿を現します。そこは下北半島屈指の古民家集落です。

【1】屋根勾配の緩やかな、大型の切妻民家が見られます。屋根はもともと板葺きでしたが、現在はトタンで覆われています。
【2】換気と明かり取りを兼ねる小窓を載せる家もあります。地元では「ソラマド」といいます。
【3】民家群から離れた場所に板倉が建ちます。かつての米倉です。

永下は周囲を山林に囲まれた小さな集落。もともと城ケ沢(じょうがさわ)村の一集落で、享和2(1802)年の記録でも家数は7しかありません。現在はその倍の14ですが、かつての基幹産業だった稲作を営むのは1軒のみで、離村が進んでいます。


永下集落の景観

古民家がたくさん残っている
この永下で特筆されるのが、古民家の多さです。かつて調査を行った御船達雄氏の報告では、「管見」との注があるものの、「現存割合は下北半島内でトップクラスで、半島の民家史を考えるさい、極めて重要と思われる」と指摘されています。

永下の民家には共通する形式があります。それが、切妻造り、平入りで、南面して建てられていること。そして、向かって右側(下手)の4分の1ほどが、明治以降に増築された馬屋になっていることです。同報告によれば14棟中10棟が伝統建築で、19世紀前期と推定されるものが2棟、19世紀中期が3棟とのことです。大きなものは間口が20メートル以上あり、倉庫のようにも見えます。


似たかたちの家が並ぶ

妻側に下屋を出した家も多い
現在、永下の家はすべて平入りですが、同報告によると、一部の家は痕跡ないし伝承から、かつては妻入りだったそうです。いわれてみれば下北半島は妻入りが優勢な地域。そうした町場から伝わった建築文化によって家が建てられ、生活の必要性から平入りに改築したのかもしれませんね。


玄関に屋根を掛ける


左の家を背後から見たところ。倉庫のようでもある
集落の西側には板倉が点在しています。かつてこの周辺は田んぼで、籾摺り前の米を保管する米倉だったと、土地の人から聞きました。高床になっているのは、通気性を高めるためだそうです。
米倉群


屋根は板葺き。破れたトタンからもとの建材が見える

一部に崩れかけた空き家もありましたが、集落全体で見れば古民家の状態は良好です。保存策が講じられることを強く望みます。


【住所】青森県むつ市城ケ沢(字永下)(地図
【公開施設】なし
【参考資料】
『角川日本地名大辞典(2)青森県』角川書店、1985年
「佐々木家住宅にみる馬屋の増築 青森県むつ市永下の民家史にむけて その1」御船達雄著、『日本建築学会大会学術講演梗概集』2005年9月所収
「永下農家の復原に見る妻入形式と増築される馬屋 青森県むつ市永下の民家史にむけて その3」御船達雄著、『日本建築学会大会学術講演梗概集』2008年9月所収

2016年9月18日撮


戻る