九艘泊
くそうどまり

二列になった集落

九艘泊は下北半島の南西端の漁村。その立地のため、江戸時代には早くから港町として発展しました。

【1】港に面して建ち並ぶこれらの建物は舟小屋です。残念ながら現在では使われていない様子です。
【2】主屋は舟小屋群の後ろ側に並んでいます。九艘泊は舟小屋群と主屋群が二列に並んだ集落なのです。
【3】舟小屋は2階建てとし、一部には大きなバルコニー状の造作があります。ここで漁具を干したのでしょうか。

江戸時代初期、盛岡藩(南部藩)は北郡の田名部通(たなぶどおり)に5つの港を置きました。これが通称、田名部五ヶ湊です。九艘泊は大畑、大間、奥戸(おこっぺ)、大平(おおだいら)とともに五ヶ湊に数えられ、諸国廻船の出入りが認められました。


切妻造りの古い家が多い

町のメインストリート。右が主屋、左が舟小屋の列
それからおよそ50年後の元禄12(1699)年、盛岡藩は新たに田名部七ヶ湊を選定。このとき九艘泊は外され、代わって東へ4キロほどの脇野沢が加えられました。以来、脇野沢が当地方の中心集落となり、現在に至っています。
九艘泊には廻船問屋も置かれたのかもしれませんが、現在の風景はまったくの漁村です。耕作地は少なく、袋状の入り江に面して舟小屋を並べ、その後方に主屋を建てています。

主屋は改修されたものも多いのですが、一部は板張りのまま旧態をとどめています。伝統的な家は妻入りで、1階正面にコモヒと呼ばれる張り出しをつくったり、屋根にソラマドと呼ばれる明かり取りの天窓を設けたりしています。いずれも下北半島では一般的な造作です。


伝統的な姿をとどめた家

主屋側から見た舟小屋
これらの主屋群から道を挟んで海側に建つのが舟小屋です。舟小屋は主屋側と海側の両方に入口を設け、動線が工夫されています。大きなものは2隻の漁船を並べて格納できました。これらの舟小屋は漁具の保管場所も兼ねていたといいます。

しかしこれらの舟小屋は、今日では本来の用途では使われていない様子です。護岸整備によって、船を引き上げられなくなったせいでしょう。いまでは舟小屋群の南西が漁船の引き上げ場所になっていて、そこに漁具保管庫と思しき小屋が建ち並んでいます。


海側から見た舟小屋。バルコニーを設ける


現在の漁船保管場所。小屋が建ち並ぶ


山側には板倉が点在


【住所】青森県むつ市脇野沢九艘泊(地図
【公開施設】なし
【参考資料】
『角川日本地名大辞典(2)青森県』角川書店、1985年
『九艘泊・蛸田の民俗』(青森県立郷土館調査報告第4集)、青森県立郷土館編、1979年

2016年9月18日撮


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