黒石
くろいし

雪の日も散歩はラクラク

青森、秋田、山形、新潟などでは、雪から人々の通行を守るアーケード状の構造物が発達しました。呼び名は地方によって異なり、青森では「こみせ」と呼ばれます。かつて全国に70以上あった「こみせの町」のうち、伝統的な景観を最もよく残すのが黒石です。

【1】こみせに覆われた道の幅は1.3〜1.9メートル。この道は公道ではなく各家の敷地です。
【2】多くの場合、柱には溝が彫られ、板戸がはめ込めるようになっています。このほか、戸を常設したこみせ、柱の下半分に溝を彫ったこみせ、溝のないこみせなどもあり、黒石はさながら「こみせの博物館」といった趣です。
【3】切妻造り、2階建ての商家が連なります。2階には出格子を設け、妻面には梁を重ねた意匠が見られます。


佐藤酒造のこみせ。欄干がガラス窓になっている

黒石には古くから町場が形成されていましたが、現在の姿になったのは17世紀中ごろのこと。弘前藩主の津軽信英(のぶふさ)による陣屋の開設と、それにともなう町域の拡張・整備により、武家町、商家町、職人町などが設けられました。
現在、古いたたずまいを残すのがかつての商家町。弘前と青森を結ぶ浜街道が通っていたことから、界わいの経済の中心として栄えました。


こみせ美術館のこみせ。柱の溝に合わせ板戸をはめる
黒石の町並みといえば何といっても「こみせ」です。家の正面に設けられるアーケード状の構造物で、およそ1間ごとに並ぶ柱に向けて庇を掛けた簡素なものですが、柱には溝が入れられ、冬になると板戸がはめられるようになっています。中にはガラス戸を入れたこみせもありました。


中村酒造のこみせ。ガラス戸を常設している


中村酒造のこみせ越しに、こみせ美術館を見る

こみせは夏には日差しを、冬には雪をよけるためのもので、同様の構造物は津軽に限らず日本海側の各地に分布しています。発祥は新潟県の阿賀町とも、鳥取県の若桜町(わかさちょう)ともいわれていますが、確かなことは分かっていません。
呼び名も地域によって異なり、青森・秋田では「こみせ」「こもせ」ですが、新潟では雁木(がんぎ)、山形では小間屋(こまや)、鳥取では仮屋(かりや)といいます。

いまや伝統的なこみせが見られる町は稀少で、黒石のものは古い商家と一体化した景観、こみせの長さ、バリエーションの多さなど、あらゆる点で日本屈指のものです。現在、中町が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されていますが、ここ以外にもこみせは延び広がっており、保存地区の拡張、もしくは条例等による別の保存対策が望まれます。


鳴海醸造店のこみせ。こんなに凝ったこみせもある


鳴海醸造店。江戸時代後期の建築

重要文化財、高橋家住宅。1763(宝暦13)年ごろの建築


【住所】青森県黒石市中町、横町、上町、元町ほか(地図
【公開施設】西谷家(こみせ美術館)
【参考資料】
『月刊文化財』2005年7月号「新選定の文化財」

2008年2月10日撮影


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