木造
きづくり

太宰が書いた「有難い廊下」

津軽地方には「こみせ」という庇のような造形物で家の前を覆い、雪除けとしている家が多く見られます。木造のこみせは太宰治の小説『津軽』に「津軽屈指」と書かれています。その町並みはいま、どうなっているのでしょうか。

【1】延々と続く屋根付きの道。一般的に「こみせ」と呼ばれますが、太宰治は『津軽』で「コモヒ」と記しています。今回、木造を歩いた中で、コモヒが最も連続していた区画がここ。およそ100メートルもありました。
【2】時代が移り変わっても、雪国ではコモヒは必需品。アルミサッシを入れて現代風に様変わりしながらも、町並みになじんでいました。
【3】1軒だけ古い蔵造りが残っていました。

太宰治は1944(昭和19)年、小山書店より「新風土記叢書」の執筆を依頼され、初夏のおよそ3週間、ふるさと津軽を旅しました。このときの体験をもとにまとめられたのが小説『津軽』です。『人間失格』とは対極にある「躁」状態で書かれた作品であり、個人的には最も好きな太宰作品なのですが、それはともかく作中に木造のコモヒに関する詳細な記述があります。


アルミサッシに守られた「現代風こみせ」の内部


木造には切妻造りの商家が点在。こみせをもつものもある

〈木造はまた、コモヒの町である。…略…、この町のコモヒは、実に長い。津軽の古い町には、たいていこのコモヒというものがあるらしいけれども、この木造町みたいに、町全部がコモヒに依(よ)って貫通せられているといったようなところは少ないのではあるまいか。いよいよ木造は、コモヒの町にきまった。〉

〈吹雪の時などには、風雪にさらされる恐れもなく、気軽に買い物に出掛けられるので、最も重宝だし、子供の遊び場としても東京の歩道のような危険はなし、雨の日もこの長い廊下は通行人にとって大助かりだろうし、また、私のように、春の温気にまいった旅人も、ここへ飛び込むと、ひやりと涼しく、店に坐っている人達からじろじろ見られるのは少し閉口だが、まあ、とにかく有難い廊下である。〉
太宰の津軽紀行から60年を経過し、もはや作品にあるようなコモヒは見られませんでした。しかし、アルミサッシとガラス窓に更新されながらも、木造には立派なコモヒがたくさん残されていました。


こみせ越しに国の登録有形文化財、旧高谷銀行本店(1892〈明治25〉年築)を見る

2階の欄干、妻面の梁組など、繊細な意匠をもつ大型商家

土偶をモチーフにしたJR五能線の木造駅舎


【住所】青森県つがる市木造桜川、木造千代町(地図
【公開施設】なし
【参考資料】
『津軽』太宰治著、新潮文庫、1951年

2008年2月10日撮影


戻る