泉山
いずみやま

山と連なるトタンの寄棟

三戸町の東部にある泉山は50戸ほどの集村。うち半数近くが歴史的な民家で、密集度合いは青森県屈指です。

【1】泉山の家は寄棟、茅葺き。しかし茅屋根を見せた家は現存せず、すべてトタンで覆われています。
【2】トタンで補修された家は、おそらく囲炉裏が使われなくなって久しいと思われますが、あえて煙出しを残しているところに、古い家に対する家主の思いを感じます。
【3】青森県では集落ごとに凝った火の見櫓が建てられています。泉山のものは化粧石を貼った擬洋風建築でした。

泉山は三戸駅の南東およそ1.5キロのところにある農村です。歴史的には天正19(1591)年の九戸政実(まさざね)の乱で集落すべてが焼き討ちに遭いましたが、その後の豊臣政権時代に各地へ離散した住民が戻され、現在の集落の基盤ができたと考えられています。


寄棟古民家の宝庫

集落最大の家(右)

泉山は寄棟造りの大型農家の密集地帯です。過去の実測調査では、桁行が10間以上あるものが13棟確認されています。中でも最大の家が集落のほぼ中央にある民家で、桁行14間、梁間6.5間もあります。この最大の家は、かつての庄屋だということです。

明治時代に入ると、東北本線(現・青い森鉄道線)の敷設のため、集落所有の森から枕木の用材を大量に切り出したことで、多くの家が富を築きました。これにより建て替えが進んだのですが、その際、庄屋の家をモデルとしたため、これほど大型の民家が建ち並ぶようになったといわれています。


集落最古の家。慶応2(1866)年

少なくとも50年前まで、ここにはさぞ壮観な茅葺き集落の風景が広がっていたことでしょう。いまは無機質なトタン屋根となってしまいましたが、多くの家が建て替えられることなく、古い架構を維持している点は奇跡的なことだと思います。


土蔵もかなり大きい

左写真の家の玄関部。入口が2カ所ある

手前の真壁造りは家か、小屋か?

集落の中心に建つ火の見櫓


【住所】青森県三戸郡三戸町泉山(地図
【公開施設】なし
【参考資料】
「泉山集落の景観形成」横内浩史・玉井哲雄著、『日本建築学会大会学術講演梗概集』2005年9月号所収

2015年11月23日撮


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