入口
いりぐち

砂浜への適応

1889(明治22)年の町村制施行時に成立して以来、一度も合併を経験していない東通村。およそ30の集落が点在し、それぞれに特徴があるのですが、村の北部にある入口はなかなか素敵なたたずまい。板張りの漁家が無秩序に点在し、浜側には納屋が並んでいました。

【1】伝統的な家はみな板張り。しかし空き家が目立ち、いつまでこの景観が残るのか気がかりです。
【2】砂浜に立地する入口では、建物の基礎になる大きな石を入手することが困難でした。そのため栗などの木材を杭のように打ち込み、基礎としています(本文参照)。
【3】家の背後、海に近いところに納屋が点在します。納屋も見事な板張り建築です。

入口は東通村野牛にある5つの字(あざ)のひとつ。『角川日本地名事典』には、「江戸中期以降、村内各地から集まった漁民によって形成された漁村である」との説明があります。
いっぽう東通村のウェブサイトでは、「秋田県大館出身者が住み着いたことが集落の始まりとの言い伝えがある」と紹介しています。

明治以降は佐渡、新潟、福井などからの出稼ぎ者が定着し、さらに昭和30年代には野牛川周辺で砂鉄採掘ブームが起こり、鉱業会社が乱立した影響で人口は急増しました。しかし砂鉄を取り尽くしたあとは、再び静かな半農半漁の集落となり、現在に至っています。

東通村の海岸線には広大な砂丘や砂浜が広がっていて、村内の民家建築では砂地への適応が求められました。その一策として採用されたのが、クリなどの丸木を地中深くに差し込み、礎石代わりにする構法です。入口ではこうした「木材基礎」の大型漁家や納屋が数多く残っています。
また、潮風への耐久性をよくするためでしょう、ほとんどの建物が全身を板で覆い尽くし、非常に印象的な集落景観を生んでいました。


礎石代わりに丸木を使った家

縦横に板を張った、見るからに頑強そうな家

古い板張り家屋の大半は無住のようだった


玄関を突出させた家

主屋の造形で目を引くのが玄関部。切妻の屋根を付けて表側に突出させています。これは青森をはじめとする雪国でよくみられる構造。冬の間、外から家に入る前に雪を落とす空間を確保するためのものです。


【住所】青森県下北郡東通村野牛(地図
【公開施設】なし
【参考資料】
『角川日本地名大辞典(2)青森県』角川書店、1985年
『写真でみる民家大事典』日本民俗建築学会編、2005年
さいはての宝もの 〜東通村29集落紹介ページ〜 -> 入口(2014年5月29日閲覧)

2013年7月14日撮影


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