弘前仲町
ひろさきなかちょう
なぜサワラを植えたのか
弘前では江戸時代中期の城郭再整備により、それまで城内に居住していた武士は城外に転居させられました。彼らの移住先のひとつが、城の北にある仲町です。中級・下級武士が住んだ短冊状の土地区画が保存され、サワラの生垣が独特の町並みをつくり出しています。 |
【1】屋敷を囲むサワラの生垣。内側から外の様子を透かし見ることができる生垣は、武家屋敷には欠かせない“装置”でした。 |
弘前城の北にあるかつての武家屋敷町が仲町です。ここは国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されていますが、古い民家は数えるほどしかありません。ではなぜ選定されたのかというと、江戸時代のままの地割りが残されているからで、いまもサワラの生垣や黒板塀の続く町並みを見ることができます。中には新たにつくられた腕木門もあり、地区全体で修景事業が進んでいることをうかがわせます。 |
生垣と門の町並み |
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仲町の町並みを特徴づけるのがサワラの生垣ですが、樹種としてサワラが選ばれたのは、雪に強く、剪定しやすかったためだと考えられています。津軽藩は積極的にサワラの生垣利用をうながしました。塀ではなく生垣で家を囲むことで、敷地内から外の様子を透かし見ることができますし、有事の際には敵を槍で突けることもその理由だといわれています。 |
仲町に残る武家屋敷のひとつ、旧岩田家住宅は、寛政年間(1789〜1801年)末期から文化年間(1804〜18年)初頭にかけて建てられました。主屋は、道路とは庭を隔てて建ち、玄関を入ると広間、座敷と続いています。居間や土間などの生活空間を通らずに接客空間へ行けるのは、武家住宅ならではの間取りです。 |
200年前の茅葺きの武家住宅、旧岩田家 |
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旧伊東家住宅は代々藩医を務めた家。つくりは武家住宅と相違ありません。玄関に式台を構え、各室の柱は長押(なげし)で連結するなど、格式を重視しています。 この家の裏手にある旧梅田家住宅は1852(嘉永5)年の墨書があり、建築年を特定できる武家住宅として貴重なものです。 なお、旧伊東家と旧梅田家は昭和時代に当地に移築・復元されたものです。 |
旧伊東家の座敷 |
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旧石場家 |
国の保存地区からは外れますが、仲町の南側に重要文化財の商家、石場家住宅があります。弘前藩の御用商人の家で、角地に建ち、L字型の変則的な平面をもっています。内部には土蔵に至るだだっ広いトオリニワがあり、表通りに面しては雪よけのアーケード「こみせ」をしつらえています。 |
旧石場家のトオリニワ。井戸があり、奥に蔵が建つ。雪深い冬にそなえたつくり |
黒板塀と蔵の町角 |