浅水
あさみず

農道なのか、街道なのか

浅水は五戸町中心部から南へ7キロの奥州街道沿いの町。江戸から数えてちょうど100番目の宿駅が置かれた土地ですが、その佇まいは宿場町というより農村的です。

【1】奥州街道に沿って町並みが展開します。かつて駅場が置かれましたが、当時の記録に「大かた農家通」だったとあり、農村的な集落だったことがうかがえます。
【2】平入りの家が多いのですが、敷地を板塀で囲ったこの家のように、通りから下がったところに建つ家もあり、宿場町としての雰囲気はあまり感じられません。
【3】コーベル(持ち送り)に支えられた台形の小屋根。浅水ではこうした洋風デザインをもつ建築も見られます。

青森県南東部と岩手県北部にまたがる旧糠部(ぬかのぶ)郡内に、数字に戸の付く地名が点在しています。鎌倉時代初期、糠部郡を領した南部氏が、行政区画として東西南北4つの門を置き、その下に一戸から九戸まで9つの戸を設けたことに始まる地名です。9つの戸のうち唯一現存しないのが四戸(しのへ)ですが、ここ浅水は、かつて四戸だったとされる場所のひとつです。


浅水の町並み

浅水の町並み

四戸だけが現存しない理由について、インターネット上では「四が死に通じるため」との記述が見られますが、文献資料で言及しているものは見当たりません。四戸の比定地についても、浅水説のほか志戸岸(三戸郡五戸町)説、上名久井(三戸郡南部町)説、櫛引(八戸市)説など諸説あって、確かなことは分かりません。ちなみに浅水説の根拠として、三戸と五戸の間に位置することと、「四=死=朝見ず=浅水」ということが指摘されています。

さて、そんな浅水には、かつて奥州街道の宿駅が置かれていました。現在の町並みの規模はそれほど大きくありませんが、同じく宿場町だった三戸や五戸よりも連続性が高い町並みが見られました。町の中心街として発展した三戸・五戸に比べ、開発や建物の更新が行われなかったためでしょう。


町並みで目を引く大型民家

その町並みはしかし、宿場町というよりも農村的な街村といった趣。往時の資料にも、駅場でありながら農家道のようだったとの記録があります。
現在の町並みを構成するのは平入りの民家で、寄棟造りと切妻造りが混在。玄関部を突出させているのは、青森県をはじめ雪国で多く見られる形式です。擬洋風の建築も見られ、小規模ながら密度のある町並みを見せてくれました。


洋風装飾のある建物

板張りの家が並ぶ


【住所】青森県三戸郡五戸町浅水(地図
【公開施設】なし
【参考資料】
『角川日本地名大辞典(2)青森県』角川書店、1985年
『日本歴史地名大系(2)青森県の地名』平凡社、1982年

2015年11月23日撮


戻る