歌棄
うたすつ

ニシン漁師の夢の跡

明治から昭和にかけて、北海道の日本海岸地方はニシン漁の活況に沸きました。それぞれの漁村には番屋が建てられ、ここ歌棄には2棟の大型建築が残っています。

【1】橋本家住宅は1879(明治12)年に完成(家伝による)。総工費は7万円とのことですが、大正時代の平均的な豪邸が3,000円といいますから、その20倍以上の豪華さです。
【2】ここに石垣を組んだ船だまりがあります。昭和20年代まで、毎年春先にニシンの大群が押し寄せました。その群れは群来(くき)と呼ばれ、北海道の日本海岸に莫大な富をもたらしました。
【3】風力発電所が見えます。寿都町は全国屈指の「風の町」であり、1989年、日本で初めて風力発電施設を建設した自治体でもあります。

歌棄に2軒ある漁場建築のひとつが橋本家。現在は単に「ニシン御殿」と呼ばれていますが、厳密にはニシン御殿ではありません。そもそもニシン御殿(ニシン番屋)とは、網元や漁師が寝泊りするための施設を指します。橋本家は仕込屋として商いをする商家でした。
仕込屋とは網元や漁師への金貸し業のこと。数の子やニシンかすなどの現物で返済してもらっていたそうです。


左右に蔵を配する橋本家住宅

橋本家住宅の前にある船だまりの石垣
橋本家はもともと福井の廻船問屋で、一財をなしてこの地で仕込屋を始めました。現在の建物は家伝によると1879(明治12)年築、聞き取り調査では1899(明治32)年築だそうです。下見板張り、宝形(ほうぎょう)屋根の巨大な主屋の左右に蔵をしたがえ、どっしり構えて日本海を見つめています。
橋本家の北800メートルほどのところに、もう1軒の漁場建築の佐藤家があります。屋号をつけて「角十(かくじゅう)佐藤家」とも呼ばれるこの建物は、家伝では明治3(1870)年築ですが、遺構から明治10〜20年ごろのものと推定されています。岐阜・富山の有名な棟梁が建て、骨組みには1本のくぎも使っていないそうです。
佐藤家の祖先は文化年間(1804〜18)に現在の福島県から北海道の松前町に渡り、文政年間(1818〜30)に松前藩の場所請負人となりました。その後、建網(たてあみ、定置網のこと)でニシン漁を始めましたが、建網によるニシン漁を行った最初の人物ともいわれています。

佐藤家住宅

洋風と和風、2つの天窓をもつ
当時のニシン御殿は積極的に洋風の建築意匠を採り入れた点に特徴があります。佐藤家もその例に漏れず、1階は和風の格子戸ですが、2階には洋風の破風付き窓を整然と並べています。また、天窓のデザインも独特。正面から見ると六角形の洋風天窓しか見えませんが、屋根の後ろ側には切妻屋根をした和風の煙出しが付けられています。
2棟の漁場建築のほかにも、海辺には板張りの納屋が多く残され、古き良きニシン漁場の風情を色濃く残しています。
国道229号より浜側に小さな納屋が点在する

一面、雪に覆われた歌棄の冬景色

橋本家の向かいにある小さな社


【住所】北海道寿都郡寿都町字歌棄
【公開施設】なし
【参考資料】
『残したい漁業漁村の歴史文化財産百選 百選集』水産庁、2006年
『総覧 日本の建築(1)』新建築社、1986年
『北海道の歴史散歩』山川出版社、2006年

2014年1月5日撮


戻る