祝津
しゅくつ

魚群待つ番屋も群れる

北海道で最もたくさんのニシン番屋が残るのが祝津です。その数、実に40棟以上!

【1】ニシン番屋は間口の広い切妻建築。ひとつ屋根の下で網元と漁夫が寝泊りし、ニシンの群来(くき)にそなえました。
【2】入口は中央付近にあり、内部は片側が網元の居住空間、もう片方が漁夫の寝所でした。それに合わせ外観も左右非対称であるのが、一般的な番屋建築です。
【3】丘の上にそびえるのは1897(明治30)年のニシン番屋、旧田中家(古宇郡泊村からの移築)。こちらは2階建てです。
【4】屋根に望楼が乗ります。ニシンの群来を見張るためともいわれますが、実際のところは、実用よりも見栄えを重視してつくられたようです。

江戸時代のニシン漁は、運上家(うんじょうや)や場所請負人と呼ばれる一部の支配層が特権的に行ってきましたが、旧来の制度は1876(明治9)年に廃止され、漁場も開放されました。これを機に建網(たてあみ)と呼ばれる定置網を用いた漁法が普及し、ニシンを大量に捕らえることが可能になりました。
建網漁は群れをなして回遊するニシンを一網打尽にしようというもので、数十人から数百人の作業員が必要になります。そこで、網元が船頭や乗組員とともに寝泊りする建築――ニシン番屋が考案されたのです。


旧田中家2階。ここに漁夫が寝泊りした

旧近江家住宅
建網漁が最も早くに成立したのが、小樽から積丹(しゃこたん)半島東部にかけての地域。一帯はまた、番屋建築が早くから成熟した場所でもあると考えられています。
祝津の北端部にある旧近江家住宅は、そんな成立期の面影を色濃く残す1軒。軒が低く、明治初期の建築と推定されています。入口を挟んで左側が網元の居住部、右側が漁夫の寝室でした。

旧白鳥家住宅も1877(明治10)年ごろと推定される初期の番屋。入口は2カ所あり、向かって左が主人用の表玄関、右が漁夫用の出入口でした。


旧白鳥家住宅

旧茨木家住宅
旧茨木家住宅は1912(明治45)年の建物で、同じく主人用と漁夫用の2つの玄関があります。注目すべきは2つの玄関の間の出窓。非常に大きな台形の出窓で、フレームを銅版張りとした珍しいデザインです。ここは応接室として使われたそうです。

旧茨木家の付属番屋

旧茨木家石蔵


【住所】北海道小樽市祝津
【公開施設】鰊御殿(旧田中家)、小樽貴賓館(旧青山別邸)
【参考資料】
『総覧日本の建築(1)北海道・東北』新建築社、1986年
日本の佇まい

2004年6月30日撮


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