乙部
おとべ

江差にはない豪壮さ

活況に沸いたニシン漁時代から一転、大正時代にスルメやスケソウダラ漁へと本格的に転換した乙部には、大型漁船が停泊できる港が整備されました。今日その港には、倉庫や納屋が並んでいます。

【1】かつてニシン漁の活況に沸いた乙部町でしたが、漁獲量は1917(大正6)年にはゼロになりました。その後、沖合漁業に転換し、港湾が整備されました。
【2】いまも漁業が営まれ、スケソウダラ漁などの漁船が停泊しています。
【3】港には板張りやトタン張りの倉庫が建ち並んでいます。「1軒だけ、ニシン番屋が倉庫に改造されて残っている」と聞きましたが、果たしてどれなのか、探してみても分かりませんでした。

乙部町の中心街・元町は、町域の南端近く、江差町寄りにあります。表通りに切妻の民家が並び、正面を板で化粧していたり、2階に出窓を設けるなど、江差に似た町並みが続いています。
江差もそうですが、このあたりの家は軒の出が短いことが特徴。雪にそなえるのであれば軒は深くなりますが、それよりも風の抵抗を減らすことを優先しているのかもしれません。乙部町の年間平均風速は秒速6メートル以上。とくに冬の間は海からの季節風が強く吹き込みます。


最近の家でも出窓の痕跡をとどめている


瓦屋根の大型倉庫がたたずむ乙部港

乙部は北海道の中でも古くから開けた町で、その起源は慶長元(1596)年、米沢の上杉家の家臣が移住したことに始まります。江戸時代の集落の様子はほとんど明らかにされていませんが、天明年間(1781〜89)の記録によると、乙部は江差に次いで賑やかな漁村で、ニシンに限れば漁獲高は和人地内で随一でした。ここには近江商人も出店し、ニシン漁の漁夫は3カ月で30〜40両を手にして帰郷できたといいます。

ニシンの漁獲量は大正に入ると減り始めました。それまで乙部の人々は、ニシン番屋を構え、建網(たてあみ)を設けて漁をしていましたが、次第にスルメ漁やスケソウダラ漁に移行し、沖での操業を余儀なくされていきます。ニシン番屋は姿を消し、代わって大型漁船が一年中停泊できる港湾が整備されるようになりました。こうして1931(昭和6)年に乙部港が完成し、現在見られる港町の骨格ができあがりました。


平側に出入りのための玄関をもつ蔵が散見された


ひょっとしたら、この建物がニシン番屋かもしれない

ニシン漁時代の面影を求めて乙部を訪れましたが、町の人に聞けば「番屋は1軒だけ、倉庫に改築されて残っている」とのことでした。道順も教えてもらいましたが、果たしてどれが目当ての建物なのか、特定することはできませんでした。
それでも、冬の港に大型の倉庫や納屋が点在する景観には、江差とはまた違った風情と豪壮さがあり、十分に楽しませていただきました。


【住所】北海道爾志郡乙部町元町
【公開施設】なし
【参考資料】
『ふるさとの文化遺産 郷土資料事典(1)北海道』人文社、1998年
『角川日本地名大辞典(1)北海道(上・下)』角川書店、1987年

2014年1月4日撮


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