大磯
おおいそ

風に耐える板張り

「風の町」と呼ばれる北海道寿都町。その中心街である大磯には、北海道でよく見られる平屋の漁家建築や、板張りの倉庫・納屋建築がありました。

【1】北海道の建築といえば下見板張り。開拓時代に札幌や函館に導入されたこの様式が、はるばる寿都までやってきたのでしょう。
【2】上げ下げ窓です。函館の洋館や和洋折衷様式でよく見かけます。
【3】風の強い寿都では農業は難しく、人々は漁業に頼ってきました。大磯では平屋の漁家建築が散見されました。

最高風速10メートル以上の日が1年に165日もある寿都町は「風の町」「風のふるさと」と呼ばれ、町のマスコットキャラクターも風をモチーフにしています。寿都町の風は日本海からではなく、内陸から吹きつけます。噴火湾(太平洋)から寿都湾に向かって平地が徐々に狭くなるのですが、黒潮が運んできた暖かい空気が、その平地を抜けていくのです。


板張り、トタン張りの倉庫が並ぶ大磯の港

中央に玄関をもつ漁家建築。すでに廃墟になっていた
「だし風」と呼ばれるこの強風のため、寿都町では農業を営むことは困難で、多くの家が漁業を営みました。昭和初期まではニシン漁が活況を呈し、その後はイカ漁やカキの養殖が活発化。大磯にはニシン漁時代に建てたと思われる古い漁家や、番屋を改装したらしき大型の木造倉庫が残っています。
江戸時代、現在の寿都町に相当する範囲には3つの「場所」がありました。場所とは本土でいう知行地、つまり領主に年貢の徴収権が認められる土地を指します。大磯周辺はスツヽ場所と呼ばれ、江戸時代から明治にかけてニシン漁で大いに賑わいました。しかしほかの港町と同様、大正に入ると不漁が続き、沖合漁業への転換を余儀なくされたのです。その基地として、大磯町には寿都漁港が建設されました。工事は3期にわたり、完成したのは1951(昭和26)年になってからのことです。
寿都漁港
大磯町から国道229号(雷電国道)を挟んだ山側、住所でいうと渡島町や新栄町の一角には寺社が集まっています。漁村である寿都の住民は信仰心が篤かったようで、早くも寛永4(1627)年には厳島神社が勧進され、明治に入ると次々と寺院が創建されました。
「寺町」というほどの規模ではないのですが、このあたりでは道々の突き当たりに寺社が鎮座し、独特の景観を見ることができます。

道路の突き当たり(右奥)に寺院が見える


【住所】北海道寿都郡寿都町字大磯町
【公開施設】なし
【参考資料】
『角川日本地名大辞典(1)北海道(上・下)』角川書店、1987年

2014年1月5日撮


戻る