江差
えさし

波打ち際は消えても

江戸時代に北前船の寄港地となって以来、繁栄を続けてきた江差には、往時をしのばせる旧中村家と横山家という2軒の商家が残っています。しかし海岸は埋め立てられ、周辺景観は一変してしまいました。

【1】主屋の後ろに蔵を一列に並べるのが、江差の伝統的な家の建て方です。(写真は旧中村家住宅)
【2】蔵は防火のため土蔵ですが、外壁には板を貼っています。雪害や塩害から守るためです。
【3】敷地の最も端に建つ蔵は「ハネダシ」と呼ばれます。物品を積んだ船が乗りつける、船着場を兼ねた蔵でした。ハネダシの前面は1972(昭和47)年に埋め立てられて道路となり、波打ち際は消えてしまいました。

江戸時代、「江差の五月は江戸にもない」といわれるほど賑わった港町、江差。北前船の寄港地としてヒバ(エゾヒノキ)やニシンの交易が行われ、人口は3万を数えました。


江差の町並み。中央のひときわ大きな白壁が旧中村家住宅

旧中村家のハネダシ。懸造りのようになっている
江差の伝統建築の特徴が「ハネダシ」という2階建ての蔵です。かつてハネダシのすぐ前は波打ち際になっていて、満潮時には1階部分に海水が浸入しました。ハネダシには物品を積んだ小船が横付けされ、「船着場を兼ねた倉庫」として使われたのです。

横山家のハネダシ。平入りのハネダシは珍しい
ところが1972(昭和47)年、湾岸道路建設のため海岸が埋め立てられると景観は一変。水とともにあったハネダシは陸地に取り残されました。それでも昔のままにハネダシや蔵を連ねた家は残されていて、いまも江差の国道227号線を歩くと、歴史の生き証人である彼らの姿を見ることができます。
国道の向こうにハネダシや蔵が建ち並ぶ

旧中村家住宅(左)と関川商店
重要文化財・旧中村家住宅は1889(明治22)年ごろに近江商人が建てたもので、海産物の交易や廻船業を営みました。主屋は総ヒバづくりの2階建て。その後ろに文庫倉、下の倉、ハネダシが一列に建っています。
北海道指定有形民俗文化財の横山家住宅は、1883(明治16)年の大火後の再建。建物の配置や構造は旧中村家とほとんど同じです。
両者の違いが屋根勾配。横山家は旧中村家よりもゆるいのですが、これは創建時に板葺き・石置き屋根だったためで、江戸時代の江差周辺に共通するつくりでした。

横山家住宅

いにしえ街道沿いの土蔵群
旧中村家と横山家が建つ旧道は「いにしえ街道」と名づけられ、道沿いには木造切妻の商家や土蔵が点在しています。
街道沿いでは新築の家も切妻、板張りとし、景観の統一が図られています。

街道を見おろす丘に1887(明治20)年築の旧檜山爾志(にし)郡役所が建つ

東本願寺江差別院。雪囲いでしっかり防御を固めていた


【住所】北海道檜山郡江差町字中歌町、字姥神町
【公開施設】旧中村家住宅(※冬期休館)、横山家(※冬期は要予約)、旧関川家別荘(※秋・冬期休館)、旧檜山爾志郡役所(※冬期休館)
【参考資料】
『写真でみる 民家大事典』柏書房、2005年
観光パンフレット「『江差之旅』かわら版・総合案内版」2013年

2014年1月3日、4日撮影


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